鶴岡八幡宮
由緒(鶴岡八幡宮Webサイトより)
当宮は康平6年(1063)源頼義が奥州を平定して鎌倉に帰り、源氏の氏神として出陣に際してご加護を祈願した京都の石清水八幡宮を由比ヶ浜辺にお祀りしたのが始まりです。
その後、源氏再興の旗上げをした源頼朝公は、治承4年(1180)鎌倉に入るや直ちに神意を伺って由比ヶ浜辺の八幡宮を現在の地にお遷しし、 建久2年(1191)には鎌倉幕府の宗社にふさわしく上下両宮の現在の姿に整え、鎌倉の町づくりの中心としました。 また、頼朝公は流鏑馬や相撲、舞楽など、今日にも引き継がれる社頭での神事や行事を興し、 関東の総鎮守として当宮に厚い崇敬の誠を寄せたのです。 以降、当宮は武家の精神のよりどころとなり、国家鎮護の神としての信仰は全国に広まりました。 当宮への信仰を背景に鎌倉を中心として興った質実剛健の気風は、その後「武士道」に代表される日本人の精神性の基調となりました。 現在では国際的史都鎌倉の中心的施設として国の内外より年間を通して数多の参拝者が訪れます。
現在の御本殿は、文政11年(1828)、江戸幕府11代将軍徳川家斉の造営による代表的な江戸建築で、 若宮とともに国の重要文化財に指定されています。 深い杜の緑と鮮やかな御社殿の朱色が調和する境内には源頼朝公、実朝公をお祀りする白旗神社をはじめとする境内社のほか、 静御前ゆかりの舞殿や樹齢千年余の大銀杏が八百年の長い歴史を伝えています。
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鶴岡八幡宮での小笠原流の行事
9月16日 流鏑馬神事
10月第一日曜日 崇敬者大祭流鏑馬神事
射手定め 平成22年(2010)9月5日
9月に執行される流鏑馬神事の射手定めは、2010年より鶴岡八幡宮舞殿で一般公開されるようになった。


崇敬者大祭流鏑馬神事 平成21年(2009)10月4日執行
神酒拝戴式

馬場入りの儀:総奉行 三十一世宗家小笠原清忠
馬場入りの儀:流鏑馬射手

流鏑馬

流鏑馬神事 昭和46年(1971)9月16日執行
- 最終更新:2011-04-09 01:07:57