草鹿式

読み:くさじししき

歩射のうち遊射の儀式。
建久5年(1194年)5月将軍源頼朝が富士の裾野で巻き狩りを催した時に、家人がしばしば獲物を射損じることがあり、古老の武士に尋ね射術の稽古の方法として草を束ねて鹿の形を作り、距離を定めて稽古をしたことが始まりといわれている。
元来は騎射の式であったが、江戸時代以降は歩射の儀式として行われている。この頃に式法が整えられ、矢所、批判、沙汰などに一定の決まりが設けられた。

遊射とはいえ、当てるだけでは意味はなく、定められた所作や体配を一つでも間違えれば外れとなる。また、的中の矢所を問われ、間違えても外れとなる。

草鹿式では、的、自陣、数塚と、所作の中で上座が変化していく。また、自分がどちらの陣に属しているかでも上座が変わる。

【絵巻】草鹿式.jpg
小笠原流式絵巻より(小山弓具蔵)

草鹿の的

腹の真ん中に大きな星1つ(定・矢当ともいう)大きさ3寸
矢当の星の角々に星4つ(肩上・草分・身無腹・ソシシ下)大きさ2寸
矢当の星の四方に小星4つ(高背下・肩中・下腹・身無腹上)
胸のほうに小星4つ(胸の星2つ・肩先の星2つ)
尾のほうに小星4つ(びわ股の星2つ・股枝の星2つ)
鹿の背通に小星7つ(高背の小星3つ・ソシシの小星4つ)
各々大きさ1寸
合計24の星がある。

草鹿の的(雌)
草鹿の的_雌.jpg

現在、草鹿式が執行されている場所

飯盛神社(福岡県福岡市)
浅草(東京都台東区)
宮城縣護國神社(宮城県仙台市)
靖國神社(東京都千代田区)
鶴嶺神社(仙巌園)(鹿児島県鹿児島市)


三郎
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  • 最終更新:2011-04-28 00:29:19

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