糾方

56代清和天皇と弟君の能有(よしあり)公は武家故実、弓射の道に長じていた。

清和天皇の第2皇子の貞純(さだずみ)親王は叔父能有公から武家故実、弓射の道、即ち武門を継承し、武家の法式をたてた。
その武家の法式は「糾法的伝」として代々適格者が選ばれ受け継がれる。

貞純親王嫡子の経基公、歴史上有名な源頼光八幡太郎義家新羅三郎義光等に受け継がれて行くが、嫡子でも資格がなければ相続を許されない。

Y.K


  • 最終更新:2011-04-22 00:29:47

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