清和源氏

清和天皇(56代)の皇子を祖とする賜姓皇族。
特に第六皇子貞純親王の子である六孫王経基の系統は源頼義を祖とする河内源氏より頼朝や足利家といった武家棟梁を輩出している。

源経基(つねもと)
経基流清和源氏の初代。
貞純親王より糾法を承(う)ける。

源満仲(みつなか)
経基嫡子。長男の頼光(よりみつ)は摂津源氏の祖。次男の頼親(よりちか)は大和源氏の祖。満仲の次男。三男の頼信(よりのぶ)は河内源氏の祖。
経基より糾法を承ける。

源頼光
満仲の長子。摂津源氏の祖。渡辺綱・坂田金時・卜部季武・碓井貞光の家臣との酒呑童子、大江山の鬼退治の逸話が有名。
満仲より糾法を承ける。

源頼信(よりのぶ)
河内源氏の祖。満仲の三男。武勇に優れ、四天王と称される。
頼光より糾法を承ける。

源頼義(よりよし)
河内源氏2代。頼信の嫡男。
前九年の役で奥州安倍氏を征討。弓の達人といわれる。
鶴岡八幡宮は、康平6年(1063)頼義が石清水八幡宮の分霊を鎌倉の由比郷鶴岡に勧請したことに始まり。後に頼朝が現在地へ移し、源氏の氏神とした。
頼信より糾法を承ける。

源義家(よしいえ)
八幡太郎(石清水八幡宮で元服)。頼義の嫡男。頼朝、足利尊氏の祖。
前九年、後三年の役で有名。
「将軍の長男義家、驍勇絶倫にして、騎射すること神の如し。白刀を冒し、重圍を突き、賊の左右 に出でて、大鏃の箭を以て、頻りに賊の師を射る。矢空しく発たず。中たる所必ず斃れぬ。雷の如く奔り、風の如く飛び、神武命世なり」(陸奥話記)
頼義より糾法を承ける。

源義光(よしみつ)
新羅三郎(新羅明神で元服)。頼義の三男。甲斐源氏の祖。後三年の役に苦戦する兄・義家のため、官職をなげうって陸奥に参陣したとされる。
弓馬術に長け、笙の名手でもあったといわれる。古今和歌集に時秋物語で、陸奥に下る途中の足柄山で豊原時秋に秘曲を授けたとある。
後三年の役に馳せ参じた義光にさすがの豪傑義家も涙を隠せなかったと伝わる。
義家より糾法を承ける。

(Y.K)

  • 最終更新:2011-05-06 00:25:21

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