春日大社

由緒(春日大社ウェブサイトより)

春日大社は、今からおよそ1300年前、奈良に都ができた頃、日本の国の繁栄と国民の幸せを願って、遠く鹿島神宮から武甕槌命(タケミカヅチノミコト)様を神山御蓋山(ミカサヤマ)山頂浮雲峰(ウキグモノミネ)にお迎えした。
やがて天平の文化華やかなる神護景雲2年(768年)11月9日、称徳天皇の勅命により左大臣藤原永手によって、中腹となる今の地に壮麗な社殿を造営して香取神宮から経津主命様、また枚岡神社から天児屋根命様・比売神様の尊い神々様をお招きし、あわせてお祀り申しあげたのが当社の始まりです。

御祭神(春日大社ウェブサイトより)


第一殿 武甕槌命(たけみかづちのみこと)様
第二殿 経津主命(ふつぬしのみこと)様
第二殿 天児屋根命(あめのこやねのみこと)様
第四殿 比売神(ひめがみ)様

武甕槌命様・経津主命様は、日本の国を秩序ある国にするためにあらゆる神々と交渉され、平和裡に治められた功績ある神様であります。
また天児屋根命様は神事と政治を守り導かれる神様として、比売神様は天照大御神様だとも天児屋根命様の妃神とも伝えられています。
平和と愛の尊い神様であり、それぞれの霊験を仰ぎ御加護を頂いてまいりました。
この四柱の神々様は、それぞれ端正な春日造の御本殿(国宝)に鎮座されており、最も尊崇すべき神々として春日皇大神と申しあげ、また、春日四所明神、春日大明神と申しあげてまいりました。

若宮神社とおん祭(春日若宮おん祭ウェブサイトより)

春日大社の摂社である若宮の御祭神は、大宮(本社)の第三殿天児屋根命と第四殿比売神の御子神であり、その御名を天押雲根命と申し上げます。
平安時代の中頃、長保五年(1003年)旧暦三月三日、第四殿に神秘な御姿で御出現になり、当初は母神の御殿内に、その後は暫らく第二殿と第三殿の間の獅子の間に祀られ、水徳の神と仰がれていました。
長承年間には長年にわたる大雨洪水により飢饉が相次ぎ、天下に疫病が蔓延したので、時の関白藤原忠通公が万民救済の為若宮の御霊威にすがり、保延元年(1135年)旧暦二月二十七日、現在地に大宮(本社)と同じ規模の壮麗な神殿を造営しました。若宮の御神助を願い、翌年(1136年)旧暦九月十七日、春日野に御神霊をお迎えして丁重なる祭礼を奉仕したのが、おん祭の始まりです。


当流の奉納行事

おん祭の稚児流鏑馬の射手は、地元の小学生によって奉仕されていますが、その弓の稽古は古来より弓馬術礼法小笠原流によって指導されており、そのご縁によって平成13年から小笠原流による古式弓術が4月下旬に奉納されています。
当日は、弓馬術礼法小笠原教場(代表:三十一世宗家 小笠原清忠)一門が武家装束に身を固め蟇目の儀百々手式が奉納されます。

関西騎射稽古場

日曜日の午後より、境内にあります車舎(くるまやどり)にて関西騎射に所属する門人の方々が流鏑馬の稽古をしております。

K.S

  • 最終更新:2011-02-18 23:52:12

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