御用弓師
読み:ごようゆみし
小山家は今から十六代前の頃、徳川家康公の江戸開府に従い三河より江戸に下り、江戸城の薪炭調達係として仕えていた。
今から八代前の初代源祐(安永九年生まれ)は、弓の調整が得意で作る弓がよく飛ぶとの評判を得たことにより、ついには江戸弓師として開業したことから小山弓具の歴史は始まる。
七代目茂治(明治三十七年~昭和五十九年)は、十歳の頃より江戸弓師佐野新五郎の二番弟子である弓師吉田音吉の元で修業を積む。独立後、二十九代宗家小笠原清明に改めて「御弓師」の看板をいただき、小笠原清明の元で小笠原流弓具のすべてを極める。昭和五年の皇太子御誕生の折には、献上弓製作の栄を全国学校協会より受ける。
今上天皇誕生記念献上弓 七代目小山茂治(右)

八代目雅司(昭和十九年~)は、十四歳の頃より仙台の矢師二代目斉藤勝原氏と寝起きを共にし矢の基本を仕込まれ、二十歳で九州宮崎の弓師横山高芳(黎明)氏に預けられ修業を積む。今上天皇の大嘗祭の際には、弓具製作の栄を賜る。
今上天皇大嘗祭 八代目小山雅司(前列中央)

・神田法人会>老舗を訪ねて 小山弓具(2004年8月)
・日本職人名工会>24丁目武道具町 小山雅司
- 最終更新:2011-04-11 21:48:29