大的式

歩射の儀式。おおまとしきと読む。

大的式は射礼として公家・武家共に重要な儀式でした。約1500年前清寧天皇が射を行わせたという記載が『日本書記』に載っており、『続日本書記』には仁明天皇が承和元年(834年)に射礼を自ら行なわれた旨の記述があります。当時の射礼は建礼門、豊楽院等で正月17日に宮中の儀式として行なわれたものです。

武家としての大的式は、源頼朝が文治5年(1189年)正月2日に最も厳格な弓の儀式として弓始の式を行われました。以来毎年正月4日に執行されたことが吾妻鏡に記載されています。
この弓始式も応仁の乱以後衰微しましたが、徳川吉宗の命により小笠原平兵衛常春が復興し、その後毎年正月17日に吹上の庭園にて行なわれるようになりました。現在でも、この日に明治神宮の萩のお庭で厳粛に行なわれています。(非公開) 

射手の人数は6名で前弓・後弓各々3名となりますが、時には10名として各々5名ということもあります。現在も奉射として大的式が各地において行なわれています。
三郎


  • 最終更新:2011-02-14 23:10:11

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