大宮八幡宮

由緒と歴史(大宮八幡宮Webサイトより)

第70代・後冷泉天皇の天喜年中(1053〜57)に、奥州に乱が起き、この乱を鎮めよとの勅命をうけた鎮守府将軍・源頼義公の軍がこの大宮の地にさしかかると、大空には白雲が八条にたなびいて、あたかも源氏の白旗がひるがえるような光景となりました。源頼義公は、「これは八幡大神の御守護のしるしである」と喜ばれ、乱を鎮めた暁には必ずこの地に神社を構えることを誓って、武運を祈り出陣されました。そして奥州を平定して凱旋のおり、誓いの通り康平6年(1063)、京都の石清水八幡宮より御分霊をいただいて、ここに神社を建てました。これが当宮の創建の縁起であります。

また、その子八幡太郎義家公も後三年の役のあと、父にならい当宮の社殿を修築し、境内に千本の若松の苗を植えたと伝えられています。

かつては武蔵国三大宮の一つ「多摩の大宮」あるいは「武蔵国八幡一之宮」と称され、昭和44年に境内の北端につづく旧境内地から弥生時代の祭祀遺跡が発掘され、この地は太古からの聖域であったことが判明致しております。

今や大東京の重心「東京のへそ」として、神々の記憶と数々の日本の歴史へと誘う胎内回帰の出来る神秘的な場所とされております。(都議会リポート、H10.6月号「東京のなんでもNO.1」で紹介)


御祭神

応神天皇(第15代の天皇)
仲哀天皇(応神天皇の父君)
神功皇后(応神天皇の母君)


大宮八幡宮での小笠原流の行事

1月2日 大的式
9月(秋の大祭) 草鹿式または三々九手挟式(隔年)


大宮八幡宮での稽古

◆騎射・歩射
大宮八幡宮弓道場
毎週土曜日、日曜日 午後1時~午後4時

◆礼法
大宮八幡宮神泉亭
日曜日 午後1時~午後4時
※稽古日程は稽古場についてをご覧ください。



  • 最終更新:2011-09-21 20:33:43

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