南宮大社

由緒(南宮大社略誌より抜粋)

社伝によれば、神武天皇東征の砌、金鵄を輔(たす)けて大いに霊験を顕わされた故を以って、当郡府中に祀らせられ、後に人皇十代崇神天皇の御代に、美濃仲山麓の現在地に奉還され、古くは仲山金山神社と申し上げたが、国府から南方に位する故に南宮大社と云われる様になったと伝えられています。
御神位は古く既に貞観十五年に正二位に叙せられ、延喜式の神名帳には美濃国三十九座の内、当社のみ国幣大社として、名神祭にも預る大社に列せられています。
天慶三年、平将門の乱の誅伏の勅願や、康平年中、安部貞任追悼の神験によって、正一位勲一等の神位勲等を極められ、以来、鎌倉、室町、戦国の世を通じて、源氏、北条氏、土岐氏等の有力な武将の崇敬をうけ、美濃国一宮として、亦、金の神の総本宮として朝野の崇敬極めて厚い名大社であります。

御祭神(南宮大社略誌より抜粋)

御祭神金山彦命
御祭神金山彦命は、神話に古く、伊勢神宮の天照大神(あまてらすおおみかみ)の兄神に当らせられる大神様であります。

当流の行事

3月には、ご社前において、午前11時より岐阜県同門会の方々を中心として、三々九手挟式及び、百々手式が奉納されます。

K.S

  • 最終更新:2011-04-03 19:31:21

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