八坂神社

由緒

八坂神社の歴史は、社伝によれば平安建都の約150年前の斉明天皇2年(656)と伝えられています。
都の発展とともに、日本各地から広く崇敬を集め、現在も約3千の分社が日本各地にあります。

八坂神社はながらく、「祇園社」「感神院」などと称しましたが、明治維新の神仏分離にともなって、「八坂神社」と改称しました。


創祀

平安京建都(794)以前より八坂神社のある東山一帯はひらけた場所で、渡来人であった八坂造(やさかのみやつこ)一族が住したところであった。
「八坂の塔」で有名な法観寺も平安京以前の創建で、八坂造の氏寺ではなかったかともいわれている。
八坂神社一帯には広大な寺域を持ち、「定額寺」という高い格式を誇った観慶寺があり、別名を祇園寺といった。
その寺域内にあった「天神堂」が八坂神社の前身である。
観慶寺はどういう理由かわからないが衰退し、天神堂が多くの崇敬を集めるようになり発展し、祇園社(八坂神社)となった。

祇園社という呼称は観慶寺の別名祇園寺に因むものと思われる。
ただ、鳥居に掲げられていた額には「感神院」と書かれており、この呼称も平安朝にまでさかのぼるものである。
祇園社と感神院の呼称の使い分けについては、その理由は今のところ判然としない。

八坂神社の創祀を社伝では斉明天皇2年(656)と伝えている。
この年には高句麗の使い伊利之(いりし)が来朝し、彼は八坂造の祖先である意利佐(いりさ)と同一人物と考えられているので、社伝の説をあながち荒唐無稽なものとして退けるわけにはいかない。


御祭神

八坂神社すなわち祇園さんの御祭神は、スサノヲノミコト(素戔嗚尊)・クシイナダヒメノミコト(櫛稲田姫命)・ヤハシラノミコガミ(八柱御子神)です。

素戔嗚尊は、『古事記』では「須佐之男命」、『日本書紀』では「素戔嗚尊」と表記されており、神話では天照大神の弟神として語られています。

当流の奉納行事

10月に、八坂神社の御社前において草鹿式が行われます。
鎌倉時代に始まる草鹿式は候言葉を使っての優雅な儀式です。

K.S

  • 最終更新:2011-02-23 22:24:46

このWIKIを編集するにはパスワード入力が必要です

認証パスワード