下鴨神社

正式名:賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)

京都は鴨川を中心に町づくりがなされており、鴨川の下流にまつられているお社というところから「下鴨(しもがも)さん」とか「下鴨神社(しもがも)」と親しくよばれています。

由緒

創祀の年代を特定することは出来ないが、『日本書紀』神武天皇二年(BC六五八)二月の条に、当神社御祭神、賀茂建角身命を奉斎していた一系流「葛野主殿県主部」との氏族の名がみえる。
この氏族は、賀茂建角身命の先の代、天神玉命を祖神とする鴨氏と同じ氏族であったことで知られている。
また、『賀茂神宮賀茂氏系図』には、賀茂建角身命の子、鴨建玉依彦命より十一代後の大伊乃伎命の孫、大二目命が鴨建角身命社を奉斎していたことが記されている。
その社が、今日の賀茂御祖神社の始源の社の一社であろうとされている。
崇神天皇七年(BC九〇)には、社の瑞垣が造営(『鴨社造営記』)され、垂仁天皇二十七年(BC二)八月には、御神宝が奉まつられている。
(『同書』)また、緩靖天皇(BC五八〇)の御世より御生神事が行われた(『旧記』)との伝承があり、欽明天皇五年(五四四)四月から賀茂祭(葵祭)(『本朝月令』『年中行事抄』)が行われていることからみて、創祀は西暦紀元をはるかに遡るものとみられている。


御祭神

西殿:賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)
東殿:玉依媛命(たまよりひめのみこと)

賀茂建角身命は、古代の京都をひらかれた神さまです。山城の国一宮として京都の守護神としてまつられています。平安京が造営されるにあたって、まず当神社に成功のご祈願が行われました。以来、国民の平安をご祈願する神社と定められました。
山城国『風土記』などに、玉依媛命が鴨川で禊(みそぎ─身を清める儀式)をされているときに、上流より流れ来た丹塗の矢を拾われて床におかれたところ、矢は美しい男神になられ、結婚された。そしてお子をお生みになったとの神話が伝えられていますので、古くから縁結、子育ての神さまとして信仰されています。


当流の奉納行事

騎射

5月3日賀茂祭(葵祭り)の前儀として流鏑馬馬場において流鏑馬が執行されます。
公家の装束(束帯)を着用しての流鏑馬で他には見られない流鏑馬です。

歩射

5月5日午前10時より賀茂祭前儀の歩射神事として百々手式が執行されます。

関西騎射稽古場

土曜日または日曜日には、研修道場内にて関西騎射に所属する門人の方々が、流鏑馬の稽古をしております。

K.S

  • 最終更新:2011-02-22 22:27:05

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