上賀茂神社

正式名:賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)
上賀茂神社は通称である。

上賀茂神社(賀茂別雷神社)は下鴨神社(賀茂御祖神社)と共に、賀茂氏の氏神を祀る神社で、賀茂神社(賀茂社)と総称されている。
葵祭(賀茂祭)などは賀茂神社両社共同で実施されます。


由緒

神代の昔、本社の北北西にある、秀峰神山(こうやま)に御祭神が御降臨になり、天武天皇の御代(678)、現在の社殿の基が造営されました。
本殿御鎮座以後も広く庶民の信仰を集め、皇室の御崇敬は歴代にわたり、行幸啓は枚挙にいとまなく、国家の重大時には必ず奉幣、御祈願がありました。

嵯峨天皇は御杖代(みつえしろ)として皇女有智子(うちこ)内親王を斎王(さいおう)と定め、その制度は以来三十五代、約四百年続きました。


御祭神

賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)

数千年前の神代の時代に遡ること天上で雷鳴が轟き、一本の丹塗矢(にぬりのや)が降って参りました。
その矢が瀬見の小川(現在の賀茂川の上流)を流れて来た時、そこで身を清めておられた賀茂玉依比売命(かもやまよりひめのみこと)はその丹塗矢を不思議に思いお持ち帰りになられます。
その矢を丁重に扱われ、床に挿されておやすみになられたところ、矢に籠もっていた不思議な力によってご懐妊され、立派な男児をお産みになられました。
お生まれになった神を当初は御子神(みこがみ)と申し上げ、成人を祝した七日七晩の宴が外祖父、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)に依って催されます。

その際に「父と思う神に盃をすすましめよ」と外祖父は仰られますが、御子神は「我が父は天神(あまつかみ)なり」と言って盃を天上に向けて投げ、甍を破って雷鳴とともに天へ昇ってしまわれました。
その時に名付けられたのが賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)つまり上賀茂神社の御祭神です。
母神は突然の昇天に嘆いておやすみの際、夢の中で「葵を飾り、馬を走らせてまつりをせよ」との別雷神のお告げを聞き、その通りにされたところ立派な成人のお姿となり、境内北方二㎞先、神山(こうやま)にお降りになりました。
そこでおまつり事が始まった事が上賀茂神社の起源であります。


当流の奉納行事

1月16日
歩射神事としての大的式及び百々手式が午前11時より近畿菱友会の方々により執行されます。

  • 最終更新:2011-02-20 01:29:02

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